kmd-windorchestra’s diary

吹奏楽指導者(JBA会員)、作編曲者、中学校教諭のブログ(吹奏楽指導、作編曲依頼はメールでご相談を)

普通とは!?

 全員がそういうわけではないのは分かっていますが、作曲家とか小説家って個性的な人が多いですよね。よく言えば個性的なのですが、悪く言えば協調性ゼロだったり変態だったり、不道徳だったりするわけです。国語と音楽の狭間で教員なんてものをやっているとそう思う機会が多いわけです。人間の内側にあるエネルギーというものが芸術へと昇華されていきます。そのエネルギーや感性は一般社会には迎合されないものも多々ありますが、人様に迷惑をかけない程度の異端さは尊重されるべきかなと考えています。

 

 「普通」を求めて周りに合わせすぎたり個性を殺したりする傾向が特に日本は強いです。いまだにマスクを手放せない子どもたちがかなりの数います。体育の授業で持久走が始まりましたが、マスクをしたまま走っている生徒がたくさんいます・・・。あれは絶対に辛いはず。でも外すこと精神的ダメージのほうが大きいから身体的なダメージは我慢しているのだと思います。思春期で容姿を気にするというのも原因かもしれませんが、学校という教室という狭いコミュニティの中でマスクをしている人が多いからこそ、それが普通になってしまっている側面もあると思います。表情を感じ取れずに意思疎通がうまくできない子どもが、コロナ禍以前より増えています(統計があるわけではないけれど、肌で感じます)。この世代の子たちがそのまま大人になったらちょっと大変なような気もします。むろん、強制的にマスクを外させることはしませんが、「普通」ということの見直しは折に触れてすべきだと思います。

 

 「出る杭は打たれる」というのもあるでしょう。目立つことをすると叩かれる。ネット社会になってからなおさらです。それが怖いから「普通」を装う。かつて「普通」とは違うことをして私もだいぶ非難を浴びたことがあります。活躍したとき、成果を出したときもバッシングを受けました。また、良かれと思ってやったことでも、別の立場の方々すると「不適切である」とみなされたこともありました。辛かったけれど後悔はしていません。自分を押し殺すほうがもっと辛いからです。自分を自分でなくして生きている方が辛いです。

 

 どうか、自分らしく生きることを認めて排除しない世の中になってほしい。人さまに迷惑をかけない個性であれば、どんどん恥ずかしがらずに表に出して言ってほしいと願っています。