kmd-windorchestra’s diary

吹奏楽指導者(JBA会員)、作編曲者、中学校教諭のブログ(吹奏楽指導、作編曲依頼はメールでご相談を)

物申す

珍しく意見を述べます。

 

某作曲者が、

どっかの県に引っ越して

1年間だけ外部指導者になって、

去年より成績が悪くなれば即辞める。

良ければ続けるか、次の県に行く。

との発言をTwitterで昨日していました。

 

すでに色々なコメントがされているわけですが、

私個人の意見としては、この発想は良くないと思います。

 

 詳しい内容や意図はわかりませんが、この「外部指導者」というのが小中高のスクールバンドを想定いていたものだとしたら、とんでもない考え方であると思います。その問題点は、大きく3つあります。

 

 1つ目は、「成績」という考え方です。真意は不明ですが、おそらくこれは「コンクールの結果」を指すのではないでしょうか。コンクールの結果が良いということが、スクールバンドの良い姿だと思ったら大間違いです。コンクールのために吹奏楽をやっているのではないのです。教育の現場において勝利至上主義を煽るようなことはあってはならないと考えます。コンクールという大舞台で子どもたちが良い演奏ができるようにサポートしてあげるのが外部指導者のあるべき姿です。吹奏楽コンクールは、目標に向かって努力することや1つの作品にのめり込む奥深さ(音楽、吹奏楽の楽しさ)を知る機会でもあります。仮に金賞が取れずに地区大会で散っていったとしても、それらを学ぶことができたら教育的に意義は十分に果たせたことになります。そういった経験を通して人生で長く吹奏楽を続けてくれたら嬉しいわけです。むしろ金賞を取って上位大会に行っても、他の部員を悲しませたり、学業が疎かになったり、心の成長がなければ意味がありません。言うまでもなく心の成長は「成績」という定規では測れないのです。

 2つ目は、「1年間やって成績が悪くなれば辞める」という発想です。スクールバンドを想定するならば、少なくとも3年間を見通した教育観が必要です。子どもの成長には時間がかかるのに目先の成果だけに固執する視野の狭さはスクールバンド向きとは言えません。収益を上げなければいけないプロの団体ではありません。

 3つ目は、演奏者(生徒)への敬意の問題です。仮にコンクールで成果(上位大会に出場を想定)が出たとします。これは、誰のおかげなのか・・・。言うまでもなく「生徒が頑張ったから」です。外部指導者が、これを自分の成果と考えるのは傲慢です。うまくいけば、子どもたちが頑張ったから、うまくいかない場合は指導者の力不足なのです。これは私の言葉の受け止め方の問題ですが、どうも例のコメントからは傲慢な指導者像が浮かんできてしまいます。

 

 地域移行会議などで私がよく発言することなのですが、教育観を欠いた指導者が教育現場に入ってきたら被害を受けるのは子どもたちなのです。今後、地域移行が成ったとき、全国的に吹奏楽指導者不足という問題が起きます。そうなると「教育観を欠いた音楽に詳しい人間」が指導者として現場に入ってきてしまう恐れがあります。少なくとも本市では、そうならないようにしていきたいと思っています。

 

 このSNS上での発言の真意は分かりません。どうか、教育現場で音楽を教える人は無責任にならないでほしい。そして、子どもたちはコマではありません。上手、下手という尺度だけで評価するような価値観を持ち込まないでいただきたい。作曲者として有名な方であるだけに今回の発言が少々残念に思えてなりません。冗談、または私のミスリードであってほしいです。