kmd-windorchestra’s diary

吹奏楽指導者(JBA会員)、作編曲者、中学校教諭のブログ(吹奏楽指導、作編曲依頼はメールでご相談を)

「センチュリア」について (後編)

 後半部は、ダルセーニョで20小節目に戻って前半部の再現になります。単なる前半部のリピートではなく、表現をおおげさにしたりバランスを意図的に変えてみたりするのも面白いかもしれません。特記すべきは、coda(終結部)です。

 「codaあるある」の1つが音符の長さが倍になる現象です。ピッコロ、フルート、クラリネット、アルトクラリネットが、Aメロの音符を2倍の長さにしたメロディーを奏でます。「センチュリア」が「アルヴァマー序曲」に似ていると言われる理由は、この部分にあるように思います。私が思うに素晴らしい旋律というものは、速いテンポでも遅いテンポ(または、同じテンポでも今回のように音符の長さが倍になっても)でも輝きが変わらない旋律です。Aメロもcodaのメロディーもメロディーとして両方素敵ですよね。テンポが変動しても同じメロディーで通用する名曲があることに気づいたのは高校生のでした。少し脱線しますが、S.ライニキ―作曲の「鷲の舞うところ」という曲を演奏したときに感動したのです。4分半くらいの短い曲ですが「急・緩・急」の3部形式の曲です。あの曲はBメロにある部分が、中間部のクライマックスで使用されます。

 センチュリアにおいても、同じことが言えてAメロのモチーフをcodaで引き延ばして使うアイデアが素晴らしいと同時に別の良さが生み出されています。本当に素晴らしいメロディーメーカーだと思います。アルトサックスとホルンは、3拍子の中間部のモチーフを変形させたような対旋律を演奏しています。この曲の出演者勢ぞろいのような印象を受けます。引き伸ばしたメロディー、中間部のモチーフを基にした対旋律となると音楽の流れが停滞してしまう気がしますが、それをさせない工夫もされています。コルネットトロンボーン、テナーサックスに軽やかなリズムを担当させています(lightlyという指示もついています)。コルネットトロンボーンがタッグを組んだとなれば影響力がとても大きいのですが、あえてメロディーでも対旋律でもなくリズム&ハーモニーを担当させているのです。だからこそ、リズムセクションとして軽やかさで全体をけん引していくという重要な役割があります。スネアドラムは、もっと細かいリズムを担当しています。ありがちなのが、リズムセクションと全く同じリズムにしてしまうのですが、スネアドラムの専売特許をここで発動しているところも演奏していて楽しいという気持ちにつながるのだと思います。

 一気にテンポが落ちて冒頭と同じ「威厳を持って」が182小節目に登場します。堂々としたファンファーレが登場します。言うまでもなくAメロのモチーフを変形させています。「With intensity」のところはフォルティシモの指定になっています。「激しく・厳しく・強烈に」といった意味で捉えると良いかもしれません。トライアングルのロールは後光が指すようなまぶしさがほしいところですね。このまま堂々と終わってもいいのですが、189小節目からテンポが上がり、駆け抜けるように曲が締めくくられます。吹奏楽の基本であるBの和音で終わっていますし、中間部の最後にでてきたモチーフも登場しています。ティンパニバスドラム、シンバルにシンコペーションが出てきますが、管楽器にはないリズムなので目立たせたいところでもあります。

 ここまで3回に分けてセンチュリアについて述べてきました。合計6000字くらいかな。ちょっとした小論文ですね。作文は嫌いではないので吹奏楽についてだったら1万でも2万字でも、わりとすぐに作文できると思います。スコアを読んでるときにリズムとかテンポを確認するだけじゃなくて、こういったことを考えて演奏しているのか・・・ということが参考になれば嬉しく思います。それはコンクールだからとかじゃなくてあらゆる曲でスコアを開いたとき、私は読み深めています。本を読解するように楽譜も読解するのです。小説だって文字と意味が分かっただけでは面白くないのです。そこから色々、考察したり解釈したりするのが面白いのです。それは楽譜も同じなのです。普段、国語の先生をしているからこそ読むということは音楽においても同じように大事にしています。

 なぜかアクセス数が伸びているので、また機会があれば他の曲でも自分なりの「読み」を更新していきたいと思います。勉強不足なところがあるので、そこは違うでしょ・・・という部分も多々あると思いますが引き続きよろしくお願いいたします。